ドラマ「赤いナースコール」で連続殺人鬼が、「チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番」を流しながら犯行を繰り返していると話題です。
赤いナースコールの犯人がなぜチャイコフスキーを流しているのか気になりますよね。
そこで、赤いナースコールの犯人がチャイコフスキーを流している意味を考察してみました。
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「チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番」って?
チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番を聴きながら、ぜひ読んでください。40秒から始まります。
赤いナースコールに出てくる「チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番」はどんな曲なのかをまずご紹介させてください。
今でこそ名曲となっているピアノ協奏曲ですが、チャイコフスキーは、最初、友人であるニコライ・ルビンシュタインに、ピアノ協奏曲を献呈しようとして、酷評されてしまいます。
「人真似が多すぎる」「貧弱な作品で演奏不能」だから私の指示に従い書き直すようにと言われました。大ショックのチャイコフスキーでしたが、諦めず、面識もないハンス・フォン・ビューローに献呈したところ、「独創的で高貴」だと気に入ってもらえました。
ビューローの演奏でピアノ協奏曲は大成功をおさめました。酷評してしまった友人のニコライはチャイコフスキーに詫びを入れて、ピアノ協奏曲を演奏させてもらったといいます。
赤いナースコールのチャイコフスキーの意味を考察!犯人は自己顕示欲の塊?
ではなぜ赤いナースコールの犯人がチャイコフスキーを犯罪現場で流しているのか、その心理を考察してみます。
チャイコフスキーは、友人にピアノ協奏曲第1番を酷評されたのに、別の人に献呈したというところに、強い想いを感じますよね。
「見返したい」「俺は正しい」「認めさせたい」そんな想いが浮かんできます。つまり自己顕示欲ですね。
身体の一部を持ち帰るのも、自分がやってやった!という「自己顕示欲」を感じます。凶器や被害者のアクセサリーなどをコレクションする犯人はよくいますが、身体の一部というのが、かなりの異常者ですね。
身体の一部をコレクションするというところが、人を切ることに慣れている医療関係者の可能性を感じます。
また、犯罪中に高貴なクラシック音楽をかけることで、犯罪そのものを崇高なものだと酔っているのが感じられます。悪いと全く思っていません。
犯人像はこうです。何か、現状がうまくいっていないけど、本当は自分はすごい人間なのだ、自分は正しいのだと誇示したい犯人ではないでしょうか。
現状がうまくいっていない人、自己顕示欲が強そうな人、登場人物の中にいましたでしょうか?
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赤いナースコールのチャイコフスキーの意味を考察!犯人は自己顕示欲の塊?まとめ
赤いナースコールでチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番を流している理由は、現状に不満があり、自己顕示欲が強く、犯罪を崇高なものだと思っている人間の仕業だと考察しました。
これからどんどん理由が明かされていくでしょう。犯人が誰なのか、動機は何なのか、とても楽しみですね。